スタッフブログ
アサヒグループ大山崎山荘美術館のスタッフが交代で山荘の日々を綴るブログです。展覧会に関する内容や山荘のこと、四季の庭園についてなど、美術館のさまざまな情報をスタッフがご紹介します。イベントの最新情報もこちらでチェックしてください。
河井寬次郎展 講演会「祖父・河井寬次郎のこと」
本日は、「生誕130年 河井寬次郎展 ―山本爲三郎コレクションより」の関連イベントとして講演会を開催いたしました。
このたびの講演会は、大山崎町ふるさとセンターのホールにて、お客様どうしの間隔を十分にとり、新型コロナウイルス感染予防対策の徹底にご協力いただきながらの開催となりました。
講師には河井寬次郎のお孫さんであり、河井寬次郎記念館学芸員の鷺珠江(さぎ たまえ)氏をお迎えしました。
「祖父・河井寬次郎のこと」と題し、河井寬次郎の人と仕事、そして幼少期の思い出などを、民藝運動の黎明期を支えたアサヒビール初代社長である山本爲三郎や、民藝の同人たちとのエピソードを交えながらお話いただきました。
河井の生涯の活動は、陶芸のみならず木彫や家具のデザイン、そして書や詩などの多岐にわたります。河井がのこした作品や言葉の数々を資料とともにご紹介いただき、「暮しが仕事 仕事が暮し」との言葉の通り、その両方を大切に歩みつづけた河井の活動の軌跡をたどることができました。
ご家族ならではのお話もうかがえ、とても楽しくあっという間のひとときでした。
ご来場のお客様の満足度もたいへん高く、大好評の講演会でした!
本展覧会にあわせて、河井寬次郎記念館もぜひ訪れてみてくださいね。
(M)
河井展ご紹介その8 陶硯と煙草具
本日は展覧会のご紹介第8弾です。第7弾では、食にまつわる河井のうつわをご紹介いたしました。(第7弾「くらしを彩るうつわ」https://www.asahibeer-oyamazaki.com/blog/2020/11/post-43111.html)
今回は食を離れ、くらしのなかで活躍した作品をさらにご紹介いたします。
書をたしなむ河井は、昭和初期、陶硯や水滴の制作にも力をいれました。特に陶硯は、かねてより中国や朝鮮の硯に関心を寄せていたことに加え、雑誌『工藝』の硯特集に触発されて制作に没頭したといいます。
《柿釉陶硯》(1936年頃)は、墨をたてる穴が二つあり、機能面も持ち合わせたまさに用と美が備わる作です。
三國荘では、河井の陶硯が芳名録とともに置かれていたといわれています。(三國荘について https://www.asahibeer-oyamazaki.com/blog/2020/10/post-43049.html)
戦後ふたたび、約20年ぶりに夢中になって手がけた陶硯は、従来の硯の概念にとらわれない自由な造形が目を引くものとなりました。各種手がけたなかでも、呉須や練上げの技法を用いた陶硯に会心を得るものが多かったようです。
《呉須釉円陶硯》(1956年)は、呉須の発色もみごとでありながら円形のバランスにも優れ、手元に置きたくなるような愛らしさがあります。
そしてもう一つご紹介したいものが煙草具の一式です。愛煙家であった河井は、煙草入れや灰落としなどの煙草具も手がけました。
灰落としには、煙草を置くための溝がほどこされ、灰の落としやすさと舞い散りを防ぐための配慮がなされています。愛煙家ならではのこだわりが随所にあふれる一式です。本作のほかにも、辰砂や黄釉、黒釉などの釉薬を用いた煙草具を15年以上にわたって制作しました。
《煙草具一式》(1950年頃)
また、戦後には真鍮を素材とするキセルをみずからデザインし、愛用していたことも知られています。バラエティに富んだデザインのキセルは河井寬次郎記念館に所蔵されています。
実際に目にすると、きっと手に取ってみたくなりますよ。
(M)
「1915年 夏目漱石、大山崎へ」解説ボードを設置しました