本 館

加賀正太郎設計 (監修)

美術館本館は、加賀正太郎が別荘として設計し、「大山崎山荘」と名づけました。大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に大幅に増築されます。
加賀は、若き日に欧州へ遊学し、イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れの記憶をもとに、木津、宇治、桂の三川が合流する大山崎に土地を求め、1912年から山荘建設に着手しました。第一期工事は1917年頃に完成します。当時の山荘は、現在の本館玄関ホール部分にあたり、イギリスで実見した炭鉱夫の家に想を得たといいます。1922年に加賀は早くも山荘の改造に着手し、現在の本館は、1932年頃に完成したと思われます。イギリスのチューダー・ゴシック様式に特徴的な木骨を見せるハーフティンバー方式をとり入れ、鉄筋コンクリート造、屋根部分には鉄骨が組まれています。現在喫茶室として使用している本館2階のテラスからは、当時そのままに三川が流れる壮大な風景を眼下にすることができます。

地中館「地中の宝石箱」

安藤忠雄設計

かつての大山崎山荘を美術館として再生するにあたり、建築家・安藤忠雄設計による新棟、地中館が増設されました。地中館は、安藤により「地中の宝石箱」と名づけられました。地中館は、周囲の景観との調和をはかるため半地下構造で設計され、円柱形の展示空間上部には植栽がほどこされています。
地中館と本館は、通路で結ばれています。通路はコンクリート打放しでつくられ、本館を出て両側を高い壁に囲まれた階段を下りると、地中の展示空間にたどり着きます。階段通路の上部四方にガラスを使用しているため、周囲の木々の緑が美しく目に入ります。展示室では、印象派の巨匠クロード・モネの《睡蓮》連作を常設展示しています。

山手館「夢の箱」

安藤忠雄設計

大山崎山荘着工からちょうど100年を経た2012年、安藤忠雄設計による新棟、山手館「夢の箱」が竣工しました。
睡蓮の花が咲く池のほとりに建つ、地上1階建ての山手館は、円柱形の地中館「地中の宝石箱」とは対照的に、箱形で構成されています。池に面した本館1階テラス[展示室1]から栖霞楼(せいかろう)を望む従来の景観を崩さぬように、建物は周囲の木々に埋もれるように配置され、さらに上部には植栽がほどこされているため、直線的なコンクリートの建物が天王山の自然に不思議と溶けこんでいます。
山手館が建つ場所には、その昔、蘭栽培で名を馳せた大山崎山荘の温室がありました。本館と山手館をつなぐガラス張りの廊下は、温室へといたる通路として使われていたものです。加賀正太郎が蘭の夢を追いかけた場所から、アサヒグループ大山崎山荘美術館の新たな一頁が始まります。