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山本爲三郎コレクション

山本爲三郎

アサヒグループ大山崎山荘美術館の所蔵品の中核を成すのが、美術館開設に際して寄贈された山本爲三郎(ためさぶろう)コレクションです。

朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長を務めた山本爲三郎(1893-1966)は、大阪の船場に生まれ、17歳のときに父親の興した製壜業山爲硝子(やまためがらす)製造所を若くして継承しました。山本は、さまざまな課題にあたっては先達の意見に耳を傾けるとともに、事業の整備・拡充に努めながら、やがて生涯の仕事となるビール製造の事業に参画することとなります。山本は、たゆまぬ努力で事業を広げる一方、芸術文化活動への支援にも熱心でした。ことに、際立った熱意をもってとり組んだのが、柳宗悦が提唱した民藝運動への支援でした。民藝とは、1925年に柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司らが「民衆的工藝」を縮めてつくった造語であり、急速に進む近代化のうねりのなかで、彼らは手仕事の復権や美の生活化を訴えました。
また、「大阪人」の実業家としての魂を受け継ぐ山本は、大阪の将来のため国際的に誇れるホテルをとの夢を抱き、第二次世界大戦後に進駐軍の接収下にあった新大阪ホテルを継承発展させた、大阪ロイヤル・ホテル(現在のリーガロイヤルホテル大阪)の設立に心血を注ぎ、1965年には、ホテル内のメイン・バーとして「リーチ・バー」を開設しました。リーチ・バーは、山本がバーナード・リーチや濱田庄司と相談しながら骨子を固めたもので、「用の美」を全体で味わうことのできるバーとして、現在でも多くの人びとに愛されています。

山本爲三郎コレクションの主体である、河井、濱田、リーチ、富本憲吉の陶磁器と、柳宗悦らが招来した東西の古作工芸の佳品の数々は、山本と、彼が第一級と認めた名匠たちとの生涯変わらぬ厚い交誼の証しであり、民藝運動への支援の記念碑ともいえるものです。

山本爲三郎

「三國荘(みくにそう)」とは

1928年、柳宗悦らは山本爲三郎をはじめとする賛同者の支援を得て、御大礼記念国産振興東京博覧会(東京・上野公園)で展示館「民藝館」を披露し、この場で民藝運動の理念を初めて具現化し、生活に即した美を世に問いました。博覧会終了後、民藝館は、この建物が失われるのを惜しんだ山本が、その建物や什器を私費で買い上げ、大阪の自邸に移設します。

大阪・三国の山本邸内に移築された民藝館は、その地名から新たに「三國荘(みくにそう)」と命名されました。三國荘では、柳が各地から蒐集した品をはじめ、志を同じくしたバーナード・リーチや富本憲吉らの陶磁器、さらに柳の影響下にうまれた工房・上加茂民藝協団の黒田辰秋らによる家具などが新しい様式を目ざした生活を彩り、三國荘は初期民藝運動の重要な拠点となりました。

三國荘(外観)