スタッフブログ
アサヒグループ大山崎山荘美術館のスタッフが交代で山荘の日々を綴るブログです。展覧会に関する内容や山荘のこと、四季の庭園についてなど、美術館のさまざまな情報をスタッフがご紹介します。イベントの最新情報もこちらでチェックしてください。
「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」 ミュージアムグッズのご紹介 その2
3月8日(日)まで開催中の企画展「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」にちなんだミュージアムグッズをご紹介します。
展示中の作品が「オリジナルトートバッグ」になりました。
黒とグレーの全2種類です。
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西洋の文化と日本の文化が混ざりあった大正時代の作品をあしらったトートバッグは、 洋装にも和装にもピッタリなデザインです。
お気に入りの作品を日常にとり入れてみませんか?
また、「見出しつきA5クリアファイル」もおすすめです。
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ポケットがたくさんついていて使い分けがしやすいだけでなく ページごとに昔のアニメセル画のように絵柄が描かれているので、
重ねると陰影と奥行を味わえて、使っていないときもデザインを楽しめる仕様になっています。
会期終了まで1週間となりました。
ご来館の記念に、ぜひミュージアムショップにもお立ち寄りください。
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※状況により一時的に欠品がでる場合もございます。ご了承ください。
展覧会の詳細はこちら
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「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」ご紹介 その5
企画展「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」の閉幕が近づき、本展のご紹介は、最終回となります。
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大正時代には都市や消費文化の発展という華やかな面と同時に、それらの変化がもたらした社会のひずみ、戦争や災害といった暗い面もありました。
1923年、カルピス製造株式会社(現カルピス株式会社)は、第一次世界大戦後のインフレに苦しむ欧州の商業美術家の救済と、日本の商業美術界への刺激を目的とし、ポスターデザインの国際懸賞公募を行いました。
当時の額面で1等が500ドル、2等が200ドル、そして3等が100ドルという大きな賞金が出され、欧州各国のデザイナーから、総数1400点を超える作品が届きました。応募作品は東京、大阪、福岡、福井、そして石川の三越百貨店で巡回展示され、競売にかけられ、その代金は応募者に送られたそうです。
カルピス社が最終的に広告デザインに採用したのは、3位を受賞したオットー・デュンケルスビューラー(1898-1977)の作品でした。簡素な幾何学的形態で構成され、表現主義的なスタイルが印象的なこの図案は、カルピスの広告になんと1990年まで使用されていました。ぜひ展示室内で探してみてください。
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ちなみに、当展覧会の会期中、本館喫茶室ではホットカルピス®(300円)を提供しております。ご観覧の休憩にご利用ください。
企画展「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」は3月8日(日)までで、会期が残りわずかとなってきました。みなさまのお越しをおまちしております。
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「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」ご紹介 その4
今回は、「夢の箱」(山手館)展示室の様子をお届けします。
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杉浦非水『少年世界』第15巻第4号 1909(明治42)年3月1日 巖谷小波編 博文館
お行儀のよい二人の少年が長椅子にならび、仲良く読書をしています。
1872年に公布された学制により、満6歳以上のすべての国民が小学校に就学することが定められ、児童の就学率は当初の30パーセントから20年でほぼ倍増します。
児童文化が発展をみせ、日本で最初の少年雑誌が創刊されたのは、1888年のことでした。
1899年に高等女学校令が定められ、女子教育が普及しはじめると、「少女」という読者層が認識されるようになり、少女雑誌がつぎつぎと創刊されます。少女向けの文学やファッションの情報がうみ出され、美しく印刷された流行画家の口絵や絵葉書、絵封筒をコレクションすることも、少女らの間で流行しました。
高畠華宵『少女の國』表紙 1927(昭和2)年 少女の國社
高畠華宵(1888-1966)が写実的なタッチで描いた美少女や美少年は、絶大な人気を誇りました。
気になる作品が多く、どの作品を選ぼうかと迷ってしまいました。ぜひ当館展示室で、ご自分のお気に入りの一枚を探してみてください。
企画展「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」は3月8日(日)まで開催中です。みなさまのお越しをお待ちしております。
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