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建築

ブログで大山崎山荘ツアー④ 本館を、外から愉しむ。

いよいよ美術館本館のご紹介です。
今日は、外観についてご紹介します。

「大山崎山荘」を作った加賀正太郎は、若き日に欧州へ遊学し、異国の文化に触れ、見聞を広めました。その時の経験が、帰国した加賀の活動に多くの影響を与えます。

加賀は英国で訪れたウィンザー城から眺めたテムズ川の風景を、大山崎の高台から見える宇治・木津・桂の三川が合流する景色に重ね合わせ、この場所に別荘を作ることを決めたのだそうです。

土地を購入したのは19116月のことでした。

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翌年1912年には建設が始まり、1917年ごろには第1期工事が完成します。

当時の山荘は木造平屋建て。

現在の玄関ホールの部分にあたり、イギリスの炭鉱夫の家から着想を得て建てられました。

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完成後5年ほどで改造に着手し、1922年から第2期工事に入ります。

前期で建てられた平屋部分を残しつつ、そこに融合させる形で、地上3階建て、地下1階の建物が作られました。

着工して間近な1923年に関東大震災が起こったこともあってでしょうか、大山崎山荘は仕上げ材として木材をふんだんに使っていますが、構造的には鉄筋コンクリート造、壁はすべて柱を兼ねるような一体型のつくりになっており、耐震・耐火を考えた構造が採用されています。

完成は1932年。着工してから約20年もの月日をかけて、現在に残る「大山崎山荘」の姿が作り上げられました。

チューダーゴシック様式の特徴がみられる外観は、とても魅力的です!

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ハーフティンバー方式と言われる木骨を見せる外壁、木と木の間をスクラッチタイルや漆喰で装飾しています。

急こう配の屋根には煙突があり、建物全体のアクセントになっています。

また、本館全体の構成は非対称で玄関は脇についています。

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玄関から反対側の芝生広場から見ていると、スイスの山小屋のような雰囲気も。

遠目からはわかりにくいですが、近づいていくと...

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一階の壁面は白壁だったことが分かります。地階はコンクリート造りで、石がランダムに貼られています。隣町の水無瀬で産出された、緑色がかった尺代石(しゃくだいいし)が使われています。

外にも、細やかな細工や装飾がなされています。

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大山崎山荘の外観も、たくさんの見どころがあります。

ご来館の際には、お庭とともにお楽しみください。

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建築

ブログで大山崎山荘ツアー③ 庭園と茶室

初夏の日差しに天王山の草木が青々と育っていきます。

アサヒビール大山崎山荘美術館は天王山の麓にあり、四季折々に花が咲く美しい庭園も愉しむことができます。

大山崎山荘を建てた加賀正太郎は実業家として活躍する一方で、大変な趣味人でもありました。
東京高等商業学校(現・一橋大学)在学中、日英博覧会観覧のためヨーロッパを遊学した際には、スイスの名峰ユングフラウに日本人として初めて登頂を果たし、現在もアルピニストとして名を遺しています。
また、大規模な蘭の温室栽培を大山崎山荘で行い「蘭の館」と言われるほどに。そして、現在も名門ゴルフ場として知られる茨木カンツリー倶楽部の設立にも力を注ぎました。

大山崎山荘の庭園も、加賀の設計によるものです。
趣味人としてのこだわりは庭のいたるところにも見受けられます。当時は天王山から水が引かれ、庭園に巡らせ池を造りました。植木に至るまでこだわり、デザインされた庭園には、現在も季節の移り変わりに合わせていろいろな種類の花が開きます。

美術館のホームページでは、
季節の庭園マップ をご覧いただくことができます。

そして、当時は庭園内にいくつかの茶室が点在していました。

現在残っている茶室は2棟。どちらも国の登録有形文化財で、通常は非公開です。

本館入口手前にある「橡の木茶屋(とちのきちゃや)」は数寄屋風の意匠をこらした立礼式の茶室です。昭和天皇の即位を記念して建てられたと言われています。

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本館の入口から見ると一階建てのようですが、

山の斜面を活かして建てられており、横の道から降りて...

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下から見てみると、コンクリートに石張りの建物の上に茶室が乗っており、2階建ての建物だったことが分かります。

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もう1棟は「彩月庵(さいげつあん)」と呼ばれる茶室です。

竹の林を抜けた先、宝積寺との境界近くに、ひっそりと建っています。

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立礼式の茶室です。

当時は持仏堂としても使われ、本館から池の敷石づたいに茶室に来られるようになっていました。

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自然を取り込みながら「暮らす環境」をデザインした加賀正太郎。

茶室や庭の在り方にも、彼の思いを感じることができます。

次回はいよいよ、本館についてご紹介していきます。

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ブログで大山崎山荘ツアー② ~琅玕洞(ロウカンドウ)とレストハウス~

ブログで大山崎山荘ツアー第2回目は、本館に入るまでに目にする、2つの建造物についてご紹介します。

1つ目は、美術館のシャトルバス停留所の前にあり、当美術館の入口でもある、琅玕洞(ロウカンドウ)という名のついたトンネル門です。

大山崎山荘は1912年に着工してから約20年の歳月をかけて、山を切り開き、道を整備し、建物から庭園の植樹に至るまで、すべて加賀正太郎が設計し、作り上げられました。琅玕洞もそのうちの一つです。

2004年に国の登録有形文化財に登録されています。

琅玕とは、最高級の翡翠など、暗緑色や青碧色の宝石のことを指します。森鴎外がナポリの青の洞窟のことを琅玕洞と訳しましたが、青々とした美しいもののたとえとしても使われる言葉です。

新緑の眩しいこの時期は、琅玕洞が一年の中でも一番美しく見える時期でもあります!

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トンネルの内壁は焼過ぎ煉瓦を織り交ぜて装飾が作られています。

通り抜ける際に見ていただきたいポイントは、トンネルの出入口です。良く見ていただくと、両方のデザインが異なります。来られた時にぜひ実際に確認してみてくださいね。

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そして、もう一つは現在レストハウスとして使われているこの建物。

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大山崎山荘時代は「車庫」として使われていました。こちらも、国の登録有形文化財です。中に入って見てみると、車庫だったころの名残として、昔の扉と、ピットの跡を見つけることができます。

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こちらも、ご来館の際にぜひ探してみてくださいね。

何気なく通り過ぎてしまうトンネル門とレストハウスですが、加賀正太郎の細部へのこだわりや当時の名残を見つけることができ、味わい深いものがあります。
美術館にお越しの際は、本館までの道のりもお楽しみいただければ幸いです。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

IK