展覧会
男たちの情熱のゆくえー加賀とニッカと山荘と:その1
現在開催中の企画展「加賀正太郎没後70年・ニッカウヰスキー90周年記念 蘭花譜と大山崎山荘 ―大大阪時代を生きた男の情熱」では、加賀正太郎とニッカウヰスキーとのつながりを知ることのできる資料を展示しています。全4回の連載で担当学芸員が加賀とニッカの物語をご紹介します。
ジャパニーズウイスキーの父として知られる竹鶴政孝と加賀との出会いは偶然でした。1923年、当時寿屋(現サントリーホールディングス株式会社)の社員だった竹鶴はウイスキー工場建設のため、山崎(大阪府)に赴任します。数年後、竹鶴夫人・リタが加賀夫人・千代子に英語を教えることとなり、両家の交流がはじまりました。
1934年、竹鶴は加賀商店を突然訪れ、アップル・ジュース製造への出資を求めます。一度はその話を断った加賀でしたが、旧知の仲であった芝川又四郎の説得を受け、大日本果汁株式会社(のちのニッカ)設立に出資します。展示中の「ニッカ小史」という加賀の手記には、設立当初から戦時中にかけてのニッカの内情がつぶさに語られています。
(2につづく)