河井展ご紹介その6 三國荘の理想のくらし
本日は展覧会のご紹介第6弾、河井寬次郎が足しげく通った三國荘(みくにそう)についてご紹介いたします。
1928年、御大礼記念国産振興博覧会のパビリオンとして建てられた民藝館は、その支援者であったアサヒビール初代社長・山本爲三郎が什器ごと買いあげました。博覧会の閉会後に解体され、山本の邸宅がある大阪・三国に運ばれて移築再建されます。移築にあたって、河井は柳宗悦らとともに監督をつとめました。実際の生活に適するように大幅な改修を経て完成した建物は、地名にちなみ「三國荘」と命名されました。
その内部には、和風、洋風、朝鮮風のさまざまな意匠がほどこされていたといいます。著しく近代化の進む日本において、新たな生活の規範を示すものでした。
三國荘は山本家の生活の場となるとともに、民藝の同人たちにも開放されていました。多くの同志たちの集う、初期民藝運動の拠点でもあったのです。
河井は、三國荘のために数々のうつわを制作しています。たとえば、黄釉で大胆に筒描きされた《スリップウェア線文鉢》(1931年)は、裏面の素地に「三國荘常用ニ 昭和六年四月廿五日」と河井による墨書がみられます。
本作のほかにも、組物の皿や碗など、さまざまな生活陶がのこされており、三國荘の食卓を彩っていたことがうかがえます。また、山手館では黒田辰秋のテーブルセットを参考出品し、三國荘の応接室の再現展示をしております。河井の作品とともに三國荘の雰囲気を感じてみてください。
本展は展覧会図録を刊行しております。河井の貴重な作品をお手元でご覧いただけます。
なお、展覧会会期中に限り、河井展と三國荘展の図録を特別セット価格でご用意しております。ここではご紹介しきれない貴重な記録写真も多数掲載していますので、どうぞお手に取ってご覧ください!
(M)