大山崎山荘着工から奇しくもちょうど100年を経た本年、山荘の睡蓮池のほとりに建築家・安藤忠雄設計による「夢の箱」が誕生し、アサヒグループ大山崎山荘美術館は、未来への新しいスタートをきります。
本展では、人々の出会いや交友を軸に、山荘やこれをとり巻く時代にまつわる物語を紐解き、文化の発信地としての当館の意義を見つめ直します。
大山崎山荘が生まれた大正から昭和初期は、「美の再発見」の時代でした。
1928年、御大礼記念国産振興東京博覧会の展示館として作られた「民藝館」で、柳らは民藝運動の理念を初めて具現化し、生活に即した美を世に問いました。その後、同館は、民藝運動の支援者であったアサヒビール初代社長・山本爲三郎 の邸内にうつされ、「三國荘
」と名づけられました。これら三國荘の調度類を含む山本のコレクションは、実業家・加賀正太郎の大山崎山荘と出会い、 1996年に 「アサヒグループ大山崎山荘美術館」が誕生します。二つが結びついた背景には、同時代を生きた山本と加賀との運命的なつながりがありました。
さまざまな人々の出会いと交友、新しい価値観との出会い、これら出会いの糸が、時代を紡ぎだしていきました。革新の気にみちた時代のもとに生まれた出会いと発見がアサヒグループ大山崎山荘美術館でひとつになり、いま、さらに次のステップに進みます。
本展では、人々の出会いや交友を軸に、山荘やこれをとり巻く時代にまつわる物語を紐解き、文化の発信地としての当館の意義を見つめ直します。
大山崎山荘が生まれた大正から昭和初期は、「美の再発見」の時代でした。
1928年、御大礼記念国産振興東京博覧会の展示館として作られた「民藝館」で、柳らは民藝運動の理念を初めて具現化し、生活に即した美を世に問いました。その後、同館は、民藝運動の支援者であったアサヒビール初代社長・山本
さまざまな人々の出会いと交友、新しい価値観との出会い、これら出会いの糸が、時代を紡ぎだしていきました。革新の気にみちた時代のもとに生まれた出会いと発見がアサヒグループ大山崎山荘美術館でひとつになり、いま、さらに次のステップに進みます。
オーギュスト・
ルノワール
《葉と果実の飾りのある若い裸婦》
カンヴァスに油彩
1905年頃
131×41.3cm
ルノワール
《葉と果実の飾りのある若い裸婦》
カンヴァスに油彩
1905年頃
131×41.3cm
ピエール・ボナール
《開いた窓辺の静物》
カンヴァスに油彩
1934年
97×60.5cm
バーナード・リーチ
《スリップウェア
ペリカン図大皿》
陶器 1930年
高9cm 径43.5cm